彫刻家が語るロダン


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このページでは著名な彫刻家がロダンを語った言葉を紹介します。
 
■ 荻原碌山

私は作品(ロダンの考える人)に接して、初めて芸術の威厳に打たれ、美の神聖なるを覚知して茲(ここ)に彫刻家になろうと決心した

 
■ 佐藤忠良

ロダンが言葉の中で「習いごとは徒弟でないと駄目、生徒は駄目」といった意味のことを語っているが、いま私どもは、この言葉のもつ意味をしっかりと考えてみなければならないときに、きているのではなかろうかとさえ思う。

 
■ 舟越保武

『ロダンの言葉』という一冊の本が、私を彫刻家にさせてしまった。まことに簡単な動機であった。

私も『ロダンの言葉』の一冊から、彫刻の道に入ったようなものだ。高村さんの作品はほとんど見ることが出来なかったが、『ロダンの言葉』を通して、彫刻の神髄に触れるような思いがしていた。

彫刻について、『ロダンの言葉』しか知らない私にとって、ロダンは神様のようなものであった。ロダン様、ミケランジェロ様と拝むような気持ちで、美校に通った。

 
■ 本郷新

ロダンによって新しい自覚にかえった彫刻

ロダンから出て、ブールデルに至る近代彫刻の胚胎は、最も重くブールデルの陣痛によって誕生したかに思われる

 
■ 柳原義達

彼(オーギュスト・ロダン)の目は自然の外観の下に潜む内面的な真実を見ている

(ロダンのデッサンは美しいということだけでなく)両手で握りしめることができる。彼の目は物の表面を見ていない。裏から盛り上がる量としている。すべてを厚みとして見ている

ロダンの彫刻家としての目は、内奥をつかみとることにつきている

ロダンはモデルの一切を見る。そこには、生きたモデルの、生命の塊もある。時間が流れてみ動いている。内の力がプランに波打っている

 
■ 舟越桂

僕の家庭は、家族全員がクリスチャンでカトリック、父(舟越保武)は彫刻家でロダンなどに憧れて制作していました。そういう意味からすると、物心ついたときから西洋美術の石膏像や写真を見て育っています。

 
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